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コピペとグぐるの繰り返し

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朝日と産経の社説読み比べる

murmurブログから抜粋

蔵書廃棄 自由の番人でいる重さ (朝日)

日本には3千の公共図書館があるそうだ。計3億冊を所蔵し、登録している利用者だけで5千万人近くにのぼる。そんな身近な図書館の蔵書の管理をめぐる判決が最高裁であった。

 千葉県船橋市の市立図書館で、4年前にベテランの司書が107冊の本を廃棄処分にした。「新しい歴史教科書をつくる会」の役員や評論家の西部邁さん、渡部昇一さんらが書いた本だった。

 船橋市には図書館の本を処分する基準がある。破損が激しく補修できないときや、内容が古くなり資料的価値がなくなった場合などだ。だが、廃棄された本はどれにもあてはまらなかった。

 公立図書館は住民に対して思想や意見などを含めてさまざまな情報、資料を提供している。最高裁はその役割に加えて、「著者にとっても考えや意見を人々に伝える公的な場だ」と初めて認めた。この考えを支持したい。

 司書は「つくる会」や賛同する人たちへの反感から、独断でこれらの本を処分した。そういう行為は著者の思想や表現の自由の権利を侵し、損害賠償の対象になると述べた。

 船橋市が払うべき損害賠償の額は、裁判が差し戻された東京高裁が、これから検討することになる。

 いまは憲法で保障されている出版の自由を私たちが手にしたのは、ほんの60年ほど前のことだ。政府に強権を与えた治安維持法を批判した法律書は発売禁止になり、著者は大学を追われた。警察署内で拷問されて死んだ作家もいる。

 どのような本を備えるかは、それぞれの図書館が決める。集め方に不満を感じる職員や利用者もいるだろう。

 しかし、定められた手続きで選んだ本を個人の勝手な判断で捨てれば、重い歴史を経てようやくみんなの共通の考えになった表現や思想の自由の価値を傷つけてしまう。

 多様な本を誰もがたやすく手に取って読むことができる社会。お互いに言葉や文字で堂々と批判しあえる社会。そんな社会を守りたいと思う。

 この裁判をおこした「つくる会」の教科書について、朝日新聞は社説で「近現代史を日本に都合よく見ようとする歴史観で貫かれ、教室で使うにはふさわしくない」と主張してきた。だからといって、会の関係者らの著作が図書館から消えていいとは思わない。

 全国の図書館が加盟する日本図書館協会は「図書館の自由宣言」で、「多様な対立する意見のある問題は資料を幅広く収集」することや「図書館員の個人的な関心や好みによって選択をしない」などとうたっている。

 本を守り、一人ひとりの内面の自由を守ることが、図書館の自由を守ることにもつながっていく。

 司書は、古代中国の書に「書籍をつかさどる職」として登場する歴史ある職業だ。知性と自由の番人である誇りをかみしめてほしい。



主張】図書廃棄訴訟 多様な言論支える判決だ
 

千葉県船橋市立西図書館で「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらの著書が大量に廃棄された問題で、最高裁は「著者の利益を侵害した」とする初めての判断を示した。

 この訴訟は、著書を廃棄された側の評論家、西尾幹二氏や岡崎久彦氏、作家の井沢元彦氏らが「不当な廃棄だ」として、同市に慰謝料などを求めたものだ。一審の東京地裁と二審の東京高裁は著者側の請求を退け、最高裁の判決が注目されていた。

 最高裁はまず、公立図書館の役割について、「独断的な評価や個人的な好みにとらわれず、公正に図書を扱う義務がある」とした。そのうえで、「廃棄は司書(図書館職員)が『つくる会』や賛同者への反感から行ったもので、違法である」とし、二審判決を破棄、差し戻した。常識を踏まえた妥当な判断といえる。

 公立図書館は、地域の人たちが知識や教養を深める場である。そのためには、さまざまな考え方や見方に立った多くの分野の本や資料が広く公開されていなければならない。訴訟で問題とされた司書の行為は、著者の利益だけでなく、それを読みたいと思う人たちの機会を奪ったことにもなる。これをチェックできなかった図書館の上司や船橋市側の監督責任も免れない。

 最近、出版物が飛躍的に増え、多くの図書館で、蔵書の扱いに悩まされている。船橋市立西図書館のような問題は、他の自治体でも起こり得るケースだ。今回の最高裁判決を踏まえ、蔵書の取捨選択は地域住民の立場から、公正に行われるべきである。

 新しい歴史教科書をつくる会は、日本の未来を担う子供たちにバランスの取れた歴史を伝えようという人たちの集まりである。それまでの教科書が中国や韓国に過度に配慮し、日本の過去を暗く描きすぎているとして、新しい歴史と公民の中学教科書をつくり、世に問うている。

 この扶桑社教科書の検定や採択をめぐっても、いろんな意見が交わされている。マスコミの一部に、扶桑社教科書のみを排除しようとする論調もあるが、やはり自由な言論を封殺するものといえるだろう。最高裁判決を機に、憲法で保障された言論の自由の大切さを改めて肝に銘じたい。



図書館の本廃棄めぐり判決 最高裁「つくる会」訴訟 [ 07月14日 07時30分 ]
共同通信


 千葉県船橋市立西図書館が著書を廃棄したため、表現の自由を侵害されたとして「新しい歴史教科書をつくる会」と作家の井沢元彦さんら7人が、市に慰謝料など2400万円の支払いを求めた訴訟の上告審判決が14日、最高裁第1小法廷(横尾和子裁判長)で言い渡される。
 1審東京地裁判決は廃棄を決めた司書について「市に対する違法行為があった」と認定したが「蔵書の管理は市の自由裁量」として著者側の請求をすべて棄却。東京高裁もこれを支持し、著者側が上告した。




そもそもこの事件知ってます?

調べてみました。

この事件の詳細は国民新聞にて書いてあります。

東京地裁と高裁は図書館側を支持したんだけど最高裁で逆転したんですわ。

朝日と産経=左翼と右翼の社説なんですが読んでみてどうですか?

murmur氏は実にするどく朝日の盲点を突いている。
この社説では教科書問題についてあまり言及していない。つまり教科書の言論統制を認めている。

一方産経は図書も教科書も言論の自由で保障されるべきという見解に立っている。

どうも朝日の社説がすっきりしなかったのはこのことだったのかと思わず感心した。
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  1. 2005/07/15(金) 19:42:37|
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