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戦勝60年で祝賀行事、反日機運が高揚=択捉島に記念碑建立-ロシア

【モスクワ2日時事】日本の降伏文書調印60周年に当たる2日、極東地方などロシア各地で対日戦勝祝賀行事が行われた。ロシアでは「ソ連軍の対日参戦が戦争終結を早めた」(ルシコフ・モスクワ市長)などと日ソ中立条約違反の対日参戦を正当化する愛国主義的論調が次々にメディアに掲載され、11月のプーチン大統領訪日を控え、反日機運が高まっている。
 タス通信によれば、北方領土の択捉(えとろふ)島中心地、クリリスクにこの日、ロシア正教の使徒、聖アンドレイ記念碑が設置された。ロシアでこの記念碑が設置されるのは6カ所目で、北方領土占有を誇示する狙いがある。 
(時事通信) - 9月2日19時4分更新




お気づきですか?

テレビで北方領土は日本固有の島です

こんなCM見たことありませんか?

おそらく上のことを受けてのことだと思います。

日本側の主張は・・・・以下日本の主張。ウィキペギア

日ソ中立条約(にっそちゅうりつじょうやく)は1941年(昭和16年)に日本とソ連の間で締結された中立条約。有効期間は1946年4月11日まで。

相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などを定めた条約で有効期間は5年とされた。当時の日本はアメリカなどと関係が極端に悪化したため、松岡洋右の指導のもと、日独伊三国軍事同盟に続き、日ソ中立条約を結ぶことでソ連を枢軸国側に引き入れ、最終的には4国同盟を結ぶ事で国力に勝るアメリカに対抗しようとした。


1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しないことを通達。それは、ヤルタ会談で対日宣戦布告が約束されたためであるが。ポツダム会議では、原爆完成により、アメリカはソ連抜きでの日本降伏も可能と参戦を拒否。一方日本側もソ連の仲介による和平工作をソ連側に依頼していた。ソ連は、東方地域の領土拡大を図るための対日宣戦布告の名分を獲得するため、8月8日深夜に日ソ中立条約を破棄を宣言し「ヤルタ会談で連合国の要請を受けた」として宣戦を布告。9日午前零時を持って戦闘を開始、満州・樺太・千島列島等へ侵攻した。この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃となった。

このソ連の行為を、「条約を一方的に破棄して攻め込んだ」として非難の対象とされるほか、書籍等にも書かれている。この行為が条約違反であるのは事実だが、日本陸軍も1941年7月関東軍特別演習(通称関特演)というものを行っている。これは「演習」となっているが、ドイツの対ソ戦如何によってはそのままソ連領内に突入、撃破する予定であった





自分が勝てれば何でもありだった時代だということがわかる。
このロシアの右翼グループの主張も聞いてみたいものだ。
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  1. 2005/09/02(金) 20:37:09|
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