(チラシの裏 )私の一言メモ

コピペとグぐるの繰り返し

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中国残留孤児の国家賠償訴訟、原告の請求棄却 大阪地裁

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敗戦後に中国東北部に取り残された日本人孤児が、速やかな帰国措置や永住後の自立支援義務を怠ったなどとして、国に1人あたり3300万円の国家賠償を求めて全国で起こした集団訴訟の初めての判決が6日、大阪地裁であった。大鷹一郎裁判長(平林慶一裁判長が代読)は「長期の中国残留や帰国後の言葉の不便による精神的苦痛は認められる」としたものの、「当時の厚生省が孤児らの訪日調査の実施を遅らせたとはいえず、その時代時代の事情に合わせて帰国後の孤児の自立支援策を立案・実行していた」として請求を全面的に棄却した。孤児側は控訴する方針。

 一連の訴訟は02年12月の東京地裁を皮切りに全国15地裁で提訴され、国費による永住帰国者の8割を超える計2064人の孤児が原告に加わった。大阪地裁への提訴は03年12月だったが、弁護団は高齢化の進む原告の救済を急ぐため、計144人の原告中、今回判決を迎えた32人(1人は死亡)の審理を先行するよう同地裁に求め、約1年3カ月で結審した。

 判決はまず、残留孤児は旧満州への入植・国防政策の遂行などの国策によって発生したと認定。日中国交正常化の72年9月以降については、残留が長期化すれば言葉と文化の違いから孤児が帰国後に遭遇する困難が大きくなることを予見することができ、国には早期に帰国をはかる「条理」(物事の筋道)上の義務があったとした。

 しかし、国交が正常化されてから国による孤児の訪日調査が始まるまで約9年の月日が経過したことについて「事後的にみれば早期に訪日調査を導入した方がより望ましかった」としたが、国が通常期待される努力をしないで訪日調査の開始を遅らせたとは言えないと判断した。日中国交正常化前の段階では、国が中国政府との交渉を通じて孤児の帰国についての協力を得るのは困難だったなどと指摘した。

 さらに、孤児に対する国の自立支援義務について検討し、孤児らの多くが帰国後、日本語がうまく話せないことで生活保護を受けている実態について「看過することができない」と述べた。しかし、孤児らの不利益の出発点は敗戦前後の混乱で孤児になったことであり、国民が等しく受忍しなければいけない戦争損害に属すると判断した。

 そのうえで、こうした損害の補償に関する社会政策などは広く立法府や行政府の裁量に委ねられるべきであり、帰国後の自立支援について国が条理上の義務を負うとは言えないと結論づけた。

 さらに、国の自立支援策については、有識者でつくる懇談会の提言を受けて進めていることなどを挙げ、著しく合理性を欠いているとは認められないと認定した。

 原告側は、早期に帰国させる義務と、帰国後に十分な日本語教育や就職あっせんなどをする義務があったのにいずれも実行せず、「祖国日本の地で、日本人として人間らしく生きる権利」を侵害したと主張した。判決はこの権利は具体性を欠き、法律上の保護対象となる権利にあたらないと判断した。

 一方、国側は「戦争ではほとんどの国民が被害を受けており、原告だけが特別な犠牲を強いられたものではない」と主張。「我が子を手放したくない中国の養父母の反対があり、中国政府との交渉に相当の時間を要した」として訪日調査の遅れを否定し、可能な範囲で十分な施策を講じたと反論していた。


 <中国残留日本人孤児> 日本が中国東北部につくった旧満州国で、敗戦前後の混乱期に肉親と生き別れたり、死別したりして現地に置き去りにされた。厚生労働省は当時の年齢がおおむね13歳未満だった人と規定している。日中国交正常化以降の74年に民間団体による肉親捜しが始まったが、国による孤児の訪日調査は81年から始まり、99年までに計30回実施。現在は厚労省の職員が年1回訪中して調査している。これまでに2492人が国費で永住帰国した。



2005年07月06日13時41分 朝日新聞
判決要旨

事案の概要

産経新聞
 本件は、日本が第二次世界大戦に敗戦した前後の混乱の中で、旧満州(現在の中国東北部)で肉親と死別又は離別して孤児となり、その後日本に帰国した者またはその承継人である原告らが、被告において原告らを早期に帰国させる義務(早期帰国実現義務)があるのに、帰国政策を推進することなく、かえって原告らの早期帰国を妨害する政策をとり、更に帰国した原告らが自立した生活を営むことができるよう支援すべき義務(自立支援義務)があるのに、十分な支援を行わなかったことにより、原告らが損害を被ったとして、被告に対し、国家賠償を請求した事案である。

 【争点】

 本件の争点は(1)原告らの被侵害権利又は被侵害利益の存否(2)被告の公務員の違法な公権力の行使の有無(被告の早期帰国実現義務違反及び自立支援義務違反の有無)(3)原告らの損害額(包括一律請求の可否等)(4)原告らの本件請求権の除斥期間(民法724条後段)の適用の有無である。

 【判断】

 ≪争点(1)について≫

 原告らは、敗戦前後の混乱の中で、旧満州において肉親と死別又は離別して孤児となり、長期にわたり残留を余儀なくされ、日本人孤児であるがゆえに中国社会において不当な取り扱いを受けたことなどにより精神的苦痛を受け、更に帰国後も日本語能力が不十分なことなどに起因して、社会生活上様々な場面で不便を来したり、不利益を受け、精神的苦痛を受けたことが認められる。

 原告らが上記のような不利益を受けないことは、人格的な利益として、不法行為法上の保護の対象になり得る法的利益であるものと解されるから、被告の公務員の違法な公権力の行使によって生じた場合には、原告らは、被告に対し国家賠償を請求できる。

 なお、原告ら主張の「祖国日本の地において、日本人として人間らしく生きる権利」は、その権利内容が具体性を欠くとともに、実定法上の根拠を欠くから、不法行為法上の保護の対象となる権利に当たるものとは認められない。

 ≪争点(2)について≫

 ▼早期帰国実現義務違反の有無

 原告ら残留孤児は、日本政府の国策に基づいて旧満州に送出された移民の子であり、原告らが孤児となったのは、国策による旧満州への入植・国防政策の遂行という被告の先行行為に起因するものであるから、被告は帰国を希望する孤児に対しできるだけ早期に帰国を実現できる措置をとるべき責務を負ったものと認められる。

 厚生大臣及び厚生省の職員は日中国交が正常化した昭和47年9月29日の時点以降、多数の残留孤児の存在を認識し、残留孤児の永住帰国までの期間が長期化すれば言葉と文化の違いから残留孤児が日本社会において遭遇する困難が一層増大するおそれがあることを予見することができた。このような結果を回避するため、所掌事務である引揚援護に関する政策として中国政府の協力を得て残留孤児の早期帰国の実現に向けた具体的な施策をとり得る状況になったというべきであるから、帰国を希望する残留孤児のために早期帰国を実現させる施策を立案・実行すべき条理上の作為義務を負ったものと認めるのが相当である。

 ところで、被告の公務員が早期帰国実現義務に違反したというためには、残留孤児の帰国を実現させる具体的な施策を立案・実行することが可能となった時期から長期にわたり遅延が続いたこと、その間、通常期待される努力で遅延を解消することができたのに、回避するための努力を尽くさなかったことが必要であるものと解される。

 しかし、本件の事実関係においては、被告の公務員が原告ら主張の早期帰国実現義務に違反したものとは認められない。

 原告らは、日中国交正常化前に、被告が未帰還者に関する特別措置法に基づく戦時死亡宣告制度を導入し、これを強引に運用し、生存している多くの残留孤児について戦時死亡宣告を受けさせたり、帰国に向けた調査を放棄することなどにより、原告らの帰国を妨害した旨主張する。故意による帰国妨害は、被告の早期帰国実現義務の有無にかかわらず、帰国の自由を侵害する違法な公権力の行使に該当する可能性があるので、この点について判断する。

 本件証拠によって認められる未帰還者に関する特別措置法の制定経過に照らすと、同法の法律案の提出、国会議員による立法行為が中国残留孤児の帰国を妨害するなどの違法、不当な目的を含むものとはいえないことは明らかである。また、本件の原告らに対する関係で、被告の公務員が戦時死亡宣告の申立権の濫用、調査の放棄等の違法な措置を行い、原告らの帰国を妨害したとまで認めるに足りる証拠はない。

 したがって、原告らの帰国妨害の主張は採用することができない。

 ▼自立支援義務違反の有無

 原告らは、被告が残留孤児を発生させた根本的原因となる行為を行ったこと、被告の早期帰国実現義務違反及び帰国妨害により、残留孤児の永住帰国が大幅に遅れたことの被告の先行行為に基づいて、被告は条理上の作為義務として原告らに対する自立支援義務を負った旨主張する。

 原告ら主張の被告の早期帰国実現義務違反及び帰国妨害の事実が認められないことは前示のとおりである。そこで、原告ら主張の被告の残留孤児を発生させた根本的原因となる行為に基づいて自立支援義務が発生したかどうかについて検討する。

 原告らの不利益の出発点は原告らが敗戦前後の混乱の中で孤児となったことによるものであるから、戦争損害ないし戦争犠牲に属するものといわざるをえず、その帰国後の社会復帰の過程において生じた不利益に対する支援の要否及び在り方は、戦争損害に対する補償の問題に帰着するものと解される。そして、戦中及び戦後において、国民のすべては多かれ少なかれその生命、身体、財産上の犠牲を耐え忍ぶことを余儀なくされていたのであるから、戦争損害は、国民のひとしく受忍しなければならないものであり、このことは、被害の発生した場所が国内又は国外のいずれであっても異なるものではないというべきである。

 戦争損害に対する補償の要否および在り方は、財政、経済、社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得るものであって、立法府の裁量的判断に委ねられているものと解され、また、行政府がその所掌事務に属する権限の範囲内で戦争損害に対する補償に係る政策を立案・実行する場合においても、その裁量的判断に委ねられているものと解するのが相当である。

 したがって原告らが孤児となったことが国家政策に起因するからといって、被告が自立支援義務を負ったものと認めることはできない。

 本件の事実関係の下においては、厚生大臣及び同省の職員に上記裁量の範囲を逸脱した違法な行為があったものとは認められない。

 また、原告らは、被告は北朝鮮の拉致被害者等に対しては、拉致被害者支援法に基づいて十分な支援をしているのに、原告らに対しては、同等の支援をしないのは合理的な理由のない差別であるから、憲法14条に違反する違法な行為に当たる旨主張するが、拉致被害者支援法は日本が通常の独立国家としての活動ができる事態となった状況下において発生した事案を対象とするものであり、その被害は戦争損害ないし戦争犠牲と同視することはできないし、自立支援法と拉致被害者支援法とでは制度目的が異なり、単純に施策の内容を比較したり、同列に論じることはできず、原告らの上記主張は採用することはできない。

 原告らは、残留孤児の生活保障及び老後保障のため、生活保護による扶助とは異なる特別法を制定しないことの立法不作為の違法を主張する。

 国会議員の立法不作為が国家賠償法上違法と評価されるのは、特定の具体的な内容の立法を行わないことが、憲法の一義的な文言に違反しているというような例外的場合に限られるというべきである。

 本件についてみると、原告らが帰国後、日本語能力が不十分なことなどにより社会生活上の様々な場面で不利益を受け、多くが生活保護により生活をしている実態は看過できないが、孤児の生活保障及び老後保障のため特別法を制定すべきことを定めた憲法の明文の条項は存在せず、文言解釈上も立法義務の存在が一義的に明白であるとは認められない。特別法を制定するかどうかは立法府の裁量事項であり、上記例外的な場合に該当するとまでは認め難い。

 【結論】

 以上によれば、被告の公務員の違法な公権力の行使により原告らの前記法的利益が侵害されたものと認めることができないから、原告らの本件国家賠償請求は理由がない。







祖国は何度見捨てる…残留孤児訴訟棄却 読売新聞

◆泣き叫ぶ原告ら、中国語で「冷酷」

 私たちを何度見捨てるのか――。6日、大阪地裁で言い渡された中国残留孤児集団訴訟の大阪訴訟判決は、「日本人として人間らしく生きたい」という老いた孤児たちの訴えを、「国に自立支援義務はない」として退けた。言葉の通じない祖国。閉廷後、弁護士の説明で、ようやく判決の意味を知った傍聴席の原告らは、ぼうぜんと席を立った。全国15地裁で係争中の他の訴訟に及ぼす影響も大きい。「許せない。最後まで闘う」。地裁前に全国から詰めかけた約100人の原告や支援者らに、憤りが広がった。

■法  廷

 午前10時15分、大阪地裁202号法廷。主文が言い渡された直後、原告弁護団の久保井聡明弁護士は、両手を上げて交差させ、「×印」を示した。日本語がほとんどわからない原告らへの「敗訴」の合図だったが、その意味が理解できないのか互いに顔を見合わせるばかりで戸惑いを隠せない。

 約20分間、判決理由を朗読する平林慶一裁判長の声だけが響いた。閉廷後、取り残されたように傍聴席に座り込む原告ら。麦志明弁護士から中国語で「権利は認められるが、国に違法行為はない」と説明を受け判決内容を知り言葉を失った。

■地裁前

 地裁北門前には、京都、兵庫などの原告らも駆けつけた。同10時20分ごろ、法廷から出てきた弁護士らが「負けたという判決」と説明すると、原告らは表情を曇らせ、ささやき合った。

 大阪訴訟原告の1人、千野正雄さん(67)は手を振り上げながら、中国語で訴えた。「60年間待たせたにもかかわらず、政府は冷酷な態度を取る。私たちは今、『食べられるかどうか』の生活を続けている。平等と人権がほしい」

 直後に出てきた弁護士が「不当判決」と書いた紙を掲げると、原告らは中国語で「不服だ」「最後まで闘おう」と声を上げた。泣き叫ぶ声も交じっていた。

 兵庫訴訟原告、兵庫県尼崎市の重光孝昭さん(66)は「絶対に許せない判決。最初の結果だけに残念」と話す。原告らの言葉はほとんどが中国語。わずかに交じる祖国の言葉は「ありえない」「つめたい」などだけだった。

■記者会見

 大阪訴訟原告団と弁護団は判決後、地裁内で記者会見。久保井弁護士が「何度も国に捨てられた孤児らに対する非情な判決。司法が職責を放棄したものとして強く抗議する」とする合同の声明を読み上げ、怒りをあらわにした。

 松田利男・同訴訟原告団長(68)は「控訴して、命をかけても闘う」と日本語でアピール。田中靖子・副団長(63)は、通訳を通じ、「孤児の苦難の人生は国に責任がある」と厳しく批判した。

 小野寺利孝・弁護団全国連絡会代表は「不当判決でも、孤児の悲惨な被害状況は認定した。この判決をてこに、政府に政治解決を促したい」と述べた。

 一方、大阪弁護士会館での報告集会では、原告を代表して、戸田光雄さん(72)が「父は移民、私は棄民、日本に帰っても難民のように扱われた。このことをわかってほしい」と訴えた。

                           ◇

◆「人生の中で今が一番つらい」

 「棄却の言葉に頭から水をかけられた気がした」。重い足取りで法廷を出てきた原告の高橋ヒロ子さん(63)(大阪府和泉市)は、唇をかんだ。

 3歳の時、中国・黒竜江省で終戦を迎えた。母と弟は間もなく病死した。父の出征で1人になり、中国人養父母に引き取られた。

 30歳の時、養父母から黄ばんだ1枚のメモを渡された。父は終戦翌年に迎えに来たものの、養父母が拒んだため日本の住所などを記して託していたという。

 1975年に一時帰国が実現。父を訪ねると、大喜びしてくれたが、すでに新しい家庭を持っていた。「迷惑はかけたくない。でも祖国に帰りたい」。思いは募り、81年、中国人の夫と3人の子供とともに永住帰国を果たした。

 しかし、待っていたのは厳しい生活だった。月収は夫のアルバイト料十数万円。粗大ゴミのテレビや家具を拾う日々が続いた。やがて長男、長女が独立し、そして一昨年、夫は日本になじめず中国に戻った。一緒に付いていきたかった。が、知的障害を抱えた二女が施設にいる。今度は「中国に帰りたくても帰れない」自分に気付く。生活保護が頼りの生活が始まった。

 「言葉がたどたどしいこともあって、仲間に入りたくても避けられている気がする。人生の中で、今が一番つらい」

 そう訴えて高橋さんは「また頑張るしかない。でも、不安です」と言った。(2005年07月06日 読売新聞)   



中国残留孤児訴訟:解説=弱者救済の流れを断つ

中国残留孤児の帰国の遅れ、帰国後の支援不足について国の法的責任を認めなかった6日の大阪地裁判決は、戦後60年たった今も「積み残された戦後処理」と言われる孤児問題の解決を一層遠のかせた。ハンセン病訴訟・熊本地裁判決(01年)、中国人強制連行訴訟・東京地裁判決(同)など、弾力的な法解釈で国の不作為による賠償責任を認めた判断が相次ぐ中、今回は、生活保護を受ける孤児の深刻な生活実態を「看過できない」と言及したものの、司法の「弱者救済」の流れを断ち切る消極的な判断になった。

 原告は、全国で係争中の残留孤児訴訟で10番目の提訴と遅れた。しかし、大阪地裁は、原告の意見陳述や支援者の証人尋問をしながら約1年3カ月で結審させた。原告の高齢化に配慮したとみていた原告・弁護側の落胆は大きい。今後の各地裁の判決への影響も懸念される。

 判決は一方で「孤児であるが故に中国社会で不当な取り扱いを受け、帰国後も不十分な日本語能力などでさまざまな不利益を受け、精神的苦痛を受けた」と原告の窮状を認めた。孤児が「祖国で日本人として人間らしく生きる権利」を侵害されたことは間違いのない事実で、不十分な政策が孤児やその家族をより厳しい境遇に追い詰めたとも言える。年老いた孤児らの悲劇に終止符を打つためには、時間がないことを国は重く受け止めるべきだ。【前田幹夫】



関連】『勝つまで闘う』残留孤児訴え棄却 『国は何もしない』

「祖国で人間らしく生きる」権利は退けられた。六日、大阪地裁が示した初の司法判断。年老いた中国残留孤児二千人の叫びをかき消す厚い壁のようだった。弁護士が手でバツ印をつくると、傍聴席の原告に落胆が広がった。言葉がわからぬ孤独な暮らし。仕事も見つからない。「戦後六十年待たされたのに」。戦争が生んだ悲劇はまだ消えていない。「また切り捨て」と識者が語る。全国で判決を待つ孤児たちも気勢を上げた。闘いは「勝つまで」続く。 

 「祖国で人間らしく生きたい」との願いは届かなかった-。大阪地裁で六日、言い渡された中国残留孤児訴訟判決。「冷たい」「許せない」。期待を胸に傍聴席を埋めた原告らに落胆の色が広がった。

 開廷後間もなく裁判長が「請求をいずれも棄却する」と告げた。原告の多くは日本語が不自由。弁護士の一人が傍聴席に向かって、手を交差してバツ印をつくると、廷内にため息が漏れた。裁判長が朗読する判決理由を必死に聞き取ろうと身を乗り出す人や、目をつぶり天を仰ぐ人も。

 法廷に入れない原告らは裁判所の敷地で判決を待った。「残念ながら、負けたということです」との知らせが届くと一様に厳しい表情。

 原告の一人は「六十年も待たされて、国は何も与えてくれなかった」と涙ながらに声を張り上げた。

 原告や支援者は判決前に決起集会を開き、原告団長の松田利男さん(68)は「全国の二千人以上の原告が注目している。真理は私たちの手の中にある。勝つまで闘うまでだ」と語った。

 ■責任回避『許せない』

 日本人なのに日本語をなぜ話せないのか。帰国後の苦しい生活は誰の責任か。原告団長の松田利男さん(68)を訴訟に駆り立てたのは「責任を回避し、残留孤児の悲劇をひっそりと終わらせようとしている」という国への怒り。請求を棄却した六日の大阪地裁判決に「これからも命を懸けて闘う」。やり場のない思いを新たな決意に変えた。

 家族とともに旧満州(中国東北部)に入植した松田さんが孤児となったのは九歳のとき。「ソ連参戦」のうわさが流れハルビンへ逃げたが、チフスや飢えで祖父母や父母らが次々と亡くなった。「生きるために」中国人の養子になった。

 「小日本鬼子」と日本人の蔑称(べっしょう)で差別され、文化大革命で「日本のスパイ」とののしられても耐えるしかなかった。国交正常化前年の一九七一年、心労で養父母と妻が相次いで死亡。「子供を自分と同じ目に遭わせたくない」と、七六年に三十九歳で永住帰国した。

 しかし、祖国にも居場所はなかった。兄の住む北海道で生活を始めたが、日本語が話せないため就職先はなく、幼い子を養うため、やむなく生活保護を受けた。「中国でも自分の力で生きてきたのに…」。自尊心をずたずたにされた。

 「もっと日本語を身に付けないと仕事を紹介できない」。粗大ごみのテレビを拾い、辞書を引きながら深夜まで日本語を独学。少し話せるようになった三年目に職業安定所を訪ねたが、対応は冷たかった。そのときの絶望感を今でも忘れない。

 その後、ようやく就職した鉄道関係の会社をリストラされ、姉を頼って大阪へ。兵庫県の砕石工場を退職した後は、再婚した妻と子の三人でわずかな年金で暮らす。

 「ハンディキャップの克服が人生だった」と振り返る松田さん。日本語が話せるため「自然と」原告団を率いるリーダーとなった。

 「裁判は命懸け。長引くと体力、経済的にもたない」。今年三月の結審後、心臓を悪くして入院した。「自分が死んだら原告がばらばらになってしまう。精神力で生きているようなものです」

 裁判ですべてが解決するとは思っていない。目指すのは、大阪訴訟原告団の孤児の七割が受給する生活保護に代わる、特別立法による年金や給付金の支給だ。「残された人生を日本人として人間らしく生きたい」。国との闘いは続く。

<解説>

 中国残留孤児らの請求を退けた六日の大阪地裁判決は、行政裁量を幅広く認める司法の伝統的姿勢に従ったもので、戦後補償問題での救済の壁が厚いことをあらためて浮き彫りにした。

 残留孤児訴訟が、強制連行などに絡むこれまでの戦後補償裁判と異なるのは、被害者が日本人で、国家による自国民の保護、救済義務を真正面から問い掛けた点だ。

 弁護団は、国策として旧満州に送り出し、終戦後も調査を十分しなかったことなどが孤児問題を生んだと分析。一連の経過を踏まえ、国には孤児に対する「早期帰国実現」と「自立支援」の二つの法的義務が生じると主張した。

 しかし大阪地裁判決は早期帰国実現の義務を認めながら国の違反はないと判断。自立支援については国の裁量を広く認め、義務自体を否定した。

 「条理上の作為義務」違反を認めた事例には、旧日本軍が遺棄した毒ガス弾で被害を受けた中国人の国家賠償訴訟で「危険な状態をつくりだした国には解消する義務がある」とした二〇〇三年九月の東京地裁判決があるが少数派だ。

 弁護団も、日本語が十分に話せないなど国の不法行為による深刻な被害が現在も続いていることを具体的に訴えたが、主張は通らなかった。

 戦後六十年がたち、孤児たちに残された時間は少ない。多くの人が生活保護を受け、社会からも隔絶された孤独な老後を送っているのが現実だ。国は主張が認められたとはいえ、改善すべき点がないのか、早急に検討する必要があろう。




何よりも強烈だったのは読売の題名。

全体的に見ても日本=悪という印象受けるんですが。

今ひとつ歴史にうといのでこの際、中国残留孤児とはなんぞやというのを調べてみました

中国残留孤児ってどんな人?

なんかとても大変な思いをしてるんだな~率直な感想です。

が!

あながちそうでもないみたいなのです

こんというブログにて中国残留孤児の日本における問題点を指摘されております。

ようするに

日本の治安の悪化や不法滞在者がやってくる温床にもなっているようです。

(財)中国残留孤児援護基金

さらに調べていくと出てきました公明党

中国残留孤児政策の拡充を

そして中国残留孤児に対して物申す的書き込みを発見。

チャンネル桜

やはりマスコミとインターネットでの書き込みによる温度差を感じますね。
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  1. 2005/07/06(水) 16:56:24|
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