(チラシの裏 )私の一言メモ

コピペとグぐるの繰り返し

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竹島日日韓の主張比較というより韓国の矛盾を突く

日本側の主張

かえれ竹島

歴史的にみても日本の領土です

竹島が発見された正確な年月は不明ですが、少なくとも江戸時代初期には日本人に知られていたようです。

元和4年(1618年)
 元和4年(1618年)米子の大谷甚吉、村川市兵衛という人たちが幕府から許可を得て鬱陵島(当時「竹島」と呼ばれていた)へ渡り、アワビ、アシカ等の漁猟、木竹の伐採などを行っていました。この鬱陵島へ渡る途中の寄港地として、また漁猟地として竹島(当時「松島」と呼ばれていた)を利用していました。

元禄9年(1696年)
 その後、江戸幕府は朝鮮との争いのため、元禄9年(1696年)鬱陵島への渡航を禁じこの島を放棄しましたが、竹島については日本の領土と考え渡航を禁じていませんでした。

明治16年(1883年)
 明治時代に入り、日本人による鬱陵島への渡航が再び始まりました。明治16年(1883年)には日本と朝鮮両国の通商に関する規則の成立により多くの漁民が鬱陵島に行くようになり、その途中竹島に寄港していました。明治20年代の終わりごろからは隠岐の島民たちが竹島でアワビ、アシカ等の漁猟に従事していました。


 このような状態が昭和27年(1952年)の李承晩ライン宣言で大きく様変わりしたのは先に述べたとおりですが、このように竹島は歴史的にみて日本の領土であることは疑いありません。



国際法に照らしても日本の領土です

▲昭和28年6月島根県と海上保安庁が合同で建てた領土標識
 明治37年(1904年)隠岐島の住人中井養三郎という人が、竹島においてアシカ猟を行うため政府に竹島の領土編入及び貸与を願い出ました。これに対して政府は明治38年(1905年)1月28日の閣議において同島を正式に竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とする旨決定しました。これに基づいて、島根県知事は同年2月22日付けの島根県告示第40号をもってその内容を公示しました。

 さらに、同年には隠岐国四郡の官有地台帳への登録、漁業取締規則によるアシカ漁業の許可、仮設望標の設置、知事の視察、また翌39年には島根県第3部長らの現地実態調査が行われるなど、国際法の要求する諸要件は完全に充足されました。

 一方、竹島及びその周辺には中井氏らによる漁舎の構築、連年の出漁が行われており、第二次大戦の終結に至るまでわが国の実効的支配が続いていました。


国際法に照らしてもわが国固有の領土であることは明らかです。




一方韓国の主張

厳選韓国情報

にてぶった切っています。

masairyu氏作・大爆笑!「于山島=独島」?これが韓国の「無知・虚言・捏造」の象徴だ!wwwwwwwww

韓国では「独島(竹島)を昔は于山島と呼んでいた」と主張しています。

・韓国の古文書「高麗史地理志」の記述
「鬱陵島は新羅時代には于山国と呼ばれていた」 

・韓国の古文書「太宗実録」の記述
「于山島には86人が住み、15戸の家があり、畑があった」 

独島(竹島)に86人も人が住む事は不可能です。
つまり于山島、于山国とは鬱陵島の事だったのです。

于山島=鬱陵島なのです。

※この誤解が発展し、于山島にCHUKDOを当てはめた事例もありますが、省略します。
  どちらにせよ、「于山島=独島」ではありません。
※CHUKDO=鬱陵島に隣接する小島





では何故、李氏朝鮮の学者は于山島と鬱陵島を別の島として考えてしまったのでしょうか?
何故、于山島と鬱陵島が同一の島である事さえ忘れてしまったのでしょうか?
おそらく、鬱陵島の地理すら正確に把握していなかったからでしょう。
無人島政策を行なっていて、事実上、捨てていたからです。
また中国の歴史ばかりを勉強し、自国の歴史を軽んじていた事も原因だと思われます。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■19世紀末のフランス人宣教師シャルル・ダレの著書「朝鮮事情」より抜粋。
※1866年にソウルで処刑されたダブリュイ主教が収集した資料を基礎に編纂。

朝鮮の学者は、自国の文献を全く信用していない。
また決して研究対象にする事は無い。
中国の歴史書だけを読む事にしている。
時々、朝鮮語で書かれた簡略な歴史本を見かける事もある。
しかし、それは女や子供が気晴らしの為に読む、真偽が混ざった玩具のような本である。
学者達は、それを開いて見る事さえ恥辱だと思っている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

驚くべき事に、李氏朝鮮には鬱陵島の地図さえ正確な物は一枚もありません。
独島(竹島)に関しては不正確な地図さえ一枚もありません。

日本の1724年の地図
位置、形状・・・両方とも正確である。 

日本の1779年の地図
竹島(独島)をしっかり明記。

日本の1837年の地図
更に正確性がUP!

・・・どんどん正確性が上がっていきます。

江戸時代に竹島(独島)を正確に記述した地図は、この他にもたくさんあります。
私が確認した地図が約20種類ありました。
私が未確認の地図を足すと50~100種類程度あると思います。



韓国は0枚です。


近代以前の呼称もありません。
※日本はMATSUSHIMA。

上陸許可記録もありません。
※日本は1656年。

経営記録もありません。
※日本は1650年代、HOUKI藩(鳥取)のOTANI氏、MURAKAWA氏が徳川幕府から拝領し経営。

法的根拠もありません。
※日本は1905年1月28日「島根県告示40号」

■日本には竹島(独島)に関する裁判記録まで残されています!

・1836年に鬱陵島に渡航して死刑になったAIZUYA YAEMON(会津屋八右衛門)

その判決文にはこう書かれている。
「MATSUSHIMA(現在の竹島)へ渡航する」と嘘を言って、TAKESHIMA(現在の鬱陵島)に渡航した・・・。
つまり「“日本領の竹島に渡航する”と嘘を言って、朝鮮領の鬱陵島に渡航した。だから死刑にする」という判決です。
江戸時代初期、鬱陵島の帰属を日本と朝鮮は80年間争いましたが、徳川幕府5代将軍TOKUGAWA TSUNAYOSHIが朝鮮に与えてしまいました。

※このTOKUGAWA TSUNAYOSHIの譲歩を激しく非難したのが、薩摩芋の普及で有名なAOKI KONYOUです。
※「中国の古書にも鬱陵島は日本の領土と書いてあるのに、何故朝鮮に渡した!」と非難した。

それ以降、徳川幕府は鬱陵島への渡航を禁じています。
その法律を破ったので、AIZUYA YAEMONは死刑になりました。
李氏朝鮮が鬱陵島を「無人島」にしていて、鬱陵島が良質な漁場だった為、密航する日本人が多かったのです。
その為の偽りの渡航理由が「日本領の竹島に渡航する」だったのです。

江戸時代から日本は竹島(独島)の領有を意識していました!


要点はこんな感じです。

証拠写真はリンク先にて見てください。


今ひとつ韓国の論拠がわからなかったので助かりました。見事に矛盾点を指摘しています

かえれ竹島の矛盾点を突いてくれる人がいるかどうかまだわかりません。

この辺はもう少し調べないと。

そしてあちらのブログのコメント欄に神が降臨なさいました。

ありがたき神のお言葉をここでうPします。

Unknown (1nida)

이곳이 미친 반한 몽키들이 있는 정신병원 맞습니까?

죽으세요.. 미친 쪽바리 씨발놈들아~!

kill Monkey japs!


日本語訳は

こちらが狂った反韓モンキーたちがいる精神病院ですか?

死んでください…狂ったチョッパリ畜生ども~!

・・・・・なにもいうことはありません・・・・


ここから追記

韓国側の主張

日本、1989年に初めて地図に竹島と表記

日本政府が、国家機関が製作した地図に独島(トクト、日本名:竹島)を自国の領土として記載したのは1989年からだったということが確認された。

17世紀中盤から1988年まで、日本政府が作成した各種官認地図に独島は1つも記載されていなかった。これは世宗(セジョン)大学日本語学科の保坂裕二教授が30日に発売した月刊ネクスト7月号「日本官認地図に独島はなかった」という寄稿文とともに掲載した関連地図を通じて明らかになったもの。

これは独島(竹島)が長い間自国領土だったとする日本側の主張が虚構であることを立証する有力な資料になるものとみられている。

独島問題を研究してきた保坂教授は「日本政府機関の国土地理院は、竹島(独島)を島根県付属の島しょの1つだと主張しているが、88年まで官認地図には入っていない上、翌年の89年になってようやく竹島(独島)を隠岐諸島の行政地図に明記している」と述べた。

日本の国土地理院が82年に発行し、88年まで使用した官認地図「隠岐諸島行政地図」には竹島(独島)は存在していない。保坂教授は寄稿文で、1889年当時、日本政府の陸地測量部が発行した隠岐諸島行政地図から1989年まで100年間発行された官認地図まで、年代別に14枚の地図を分析している。

保坂教授は「日本が実効支配の決定的証拠になる官認地図に竹島を明記していないことは1988年、これまで竹島(独島)を日本領土として領有する意志がないことを明確に表す証拠だ」とし「したがって現在の独島(竹島)が韓国領土であることを日本が再び証明した」と話している。

保坂教授は、日本政府が1989年に入り、竹島(独島)を全国地図に入れ始めた理由について「82年、国連が採択した『国連海洋法条約』(領海は12海里、排他的経済水域を200海里と規定した国際的合意)を念頭に置いた措置で、海洋領土を拡張しようという帝国主義的動きの一環だ」と主張した。

またこれまで日本全国地図の「国土基本図作成地域一覧図」1975年版、「日本測量部地図区域一覧表(1923年)」「大日本国全図(1881年)」「官版実測日本全図(1870年)」など日本官認地図でも竹島(独島)がないことを見つけ出して公開するなど独島(竹島)領有権研究に専念してきた。

月刊ネクスト=キム・ユファル記者


2005.07.01 11:27:02


在日本音③ 推薦 : 0
2005-07-03 12:31:29 独島も実質的に我らのものになっていますし強制連行や従軍慰安婦も我々の主張通りに認められました。今からこれからですよ。我らの先祖様たちが受けた36年にも渡る日本による圧政と搾取と略奪と蹂躙の歴史を挽回する時がやってきたんです。もう日本による歴史歪曲や妄言や差別はたくさん。これからの日本を作っていくのは我々コリアンです。どうせあなたたちは何も出来やしない。PCの前に座ってせいぜいこうやって掲示板に書き込むだけだ。デモの1つもできない。我々は民族の誇りをかけて日本を変えていく。あとは我々に任せてあなたたちは座して愚痴の1つでも編んでいなさい。----岸和田市のBBSの在日コメント【これからは我々在日コリアンの時代】-http://www.city.kishiwada.osaka.jp/keijiban/

2005-07-03 12:31:46 ---日本人は我々が大勢でちょっと大きな声をだしてやるだけですぐに動きますからね。この条例成立がそれを証明しているでしょ?まずはこの岸和田から。あとは日本中の在日コリアンコリア系日本人を総動員し日本中の都市街で投票条例を得最後は参政権を手中に収めます。必要があれば住民票を移したり引っ越しだってやりますよ。我々にはそれを実現するだけのパワーがありますから。この我々のパワーと勢いがあなたたち日本人との絶対的な差なんです。相互主義とか関係ないですよ。在韓外国人には今も投票権や参政権はありませんけどねこうして在日は相互主義に関係なく欲しいものは絶対に手に入れることができる圧倒的実力を誇るんです。---

2005-07-03 12:32:03 岸和田市のBBSの在日コメント【これからは我々在日コリアンの時代】----可決されましたか。いやめでたい。今なら言えるかな。関西在住の在日三世ですがこの日を待っていましたよ。我々は日本への帰化など望んでいません。日本の兄の国である韓国国民としてのプライドと誇りがありますからね。民団総連日本の市民団体の方々とともに手を組んで我々寄りの議員をどんどん送り込んでいきますよ。当然我々寄り議員は我々にメリットの大きい条例や法案を作ってくれるでしょう。これまで差別され虐げられてきた60万在日のパワーを見せつけてやります。日本人に一泡吹かせるどころかコリアン特区コリアン自治区を日本全国に広げます。韓流ブームなんてのはそのほんの入り口の更に手前の門扉の前の石ころ程度のものですよ。---

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65130&servcode=200§code=200&p_no=&comment_gr=article_65130&pn=4
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  1. 2005/07/02(土) 10:19:52|
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